おつかれさま、かぷちーとです。
今回は映画『すべての終わり』のレビューと解説を書きます。
あらすじ
シアトルで暮らす弁護士のウィルと恋人のサムは子供を授かります。
サムの両親はウィルとの結婚に反対しています。
ウィルは両親の住むシカゴで認めてもらうよう説得に向かいますが……。
『すべての終わりは』主人公ウィルの成長物語です。
ウィルは”自立心がなく”、サムの父親から「お前は計画を持たず、逃げている」と言われてしまいます。
突如”なにかが起きたシアトル”へ父親のトムと共に車を走らせます。
私は『すべての終わり』が嫌いです。
この記事は映画『すべての終わり』を視聴済みの方に向けたレビューです。未視聴の方はご覧にならないようお願いします。
製作キャストとキャラクター解説
監督 デヴィッド・M・ローゼンタール
俳優 テオ・ジェームズ "ウィル"
フォレスト・ウィテカー "トム"
カテリーナ・グレアム "サム"
ニコール・アリ・パーカー "ポーラ"
グレイス・ドーヴ "リッキー"
『すべての終わり』の感想と考察
「なんだこの映画」そう感じたのが第一印象です。
フォレスト・ウィテカーは素晴らしい俳優だし、今回の演技もよかったです。
でも、彼の魅力を全く生かせていませんでした。
設定は流行りのポストアポカリプスです。
物語の内容は、中身がカラッポな海外ドラマを凝縮したかのような、とにかく時間を無駄にした気持ちになります。
クソ映画です。
ロードムービーをもう少し学ぶべき
『すべての終わり』は飽きます。
なぜなら、撮り方が非常に悪いからです。
映画の半分以上は車で移動するだけです。
同じような角度で、背景は砂嵐でみえにくい、薄暗くてなにが起きてるのかもわからない、そして常にキャラクターのアップを映します。
登場人物を映す角度が一緒、全部一緒です。
車から降りても同じ構図で撮るし、唯一撮り方を変えたのが荒廃したシアトルに戻れた時だけです。
これでは飽きてしまうのは当然です。
比較対象に、グリーンブックという素晴らしい映画があります。
同じ様に車内がメインの映画です。
物語もテイストも違いますが、少なからず撮影の仕方は素人でもわかるほど違います。
役者はいい演技をしている、でも、脚本と演出がすべてを無駄にしている
この映画は主人公が”責任のある男、父親”へと成長する物語です。
でも、成長するまでの経緯で彼に感情移入することは一度もありません。
なぜなら、主人公に対して「そうかもしれない」という理解が、私には伝わらなかったからです。
魅力のないキャラクターです。どのキャラクターも似たようなものです。
途中で加わるリッキーは特に必要ありません。
リッキーのキャラクターに何の役割があったのでしょうか?車を直す役?それだけ?それだけなら別に車が故障したり、ガソリンや、略奪の演出は必要なかったと言えます。
人種問題でしょうか?難民問題でしょうか?
いえ、これらはただの尺伸ばしです。
大きな弁当箱に梅干しだけ入れたような映画です。
最後に
デヴィッド・M・ローゼンタール監督の映画はもうみることはないです。
色々書こうとブログを立ち上げたけど、あらすじを書いてるあたりで飽きたのでこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
堅苦しい文章なのは許してください。
では、またの機会に。