おつかれまさ、かぷちーとです。
今回はネットフリックスオリジナル映画『呪詛』のレビューと解説を書きます。
『呪詛』は実話をベースにした作品ということですが、個人的にはそこまで関連が無いので、調べなくてもよかったかなと思います。ググるとでてきます。
『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』のようなファウンド・フッテージで撮影されていて、非常に臨場感がありました。
ちょいちょい、「いや、そうはならんカメラの置き方だろ」と細かい所はありましたが、楽しめました。
「なんでこの人ずっと動画まわしてんだろう?」と思いながらみていましたけど、なるほど動画配信者だったんですね。あらすじはちゃんとみて視聴しないとね。
本作は母親と子供の”呪いと祈り”を描いた作品です。徐々に緊張感と恐怖が込み上げてくる演出と、出そうで出ない”怪異”がよかったです。
母親の”やさしさ”と”残酷さ”をどうとらえるかで、この映画の面白さが変わってくる気がします。
この記事は映画『呪詛』を視聴済みの方に向けたレビューです。未視聴の方はご覧にならないようお願いします。
『呪詛』の感想と解説
物語は6年前、ホラー映画でよくいる”自分本位で行動する馬鹿達”が入ってはいけない地下道に侵入し、『大黒仏母』に呪われることからはじまります。
『大黒仏母』を祀る村では自分の名前をささげて、”呪文”を唱えることで呪いを分配させて効力を落としていました。
身ごもっていた主人公のルオナンは、自分とお腹の中の子供の名前を奪われてしまいます。
ここで考察ですが、村で耳を奪われた娘がいます。彼女は『大黒仏母』に選ばれた娘(大黒仏母にとっては自分の娘)です。宗教観が分からないのであっているか分かりませんが、『大黒仏母』は選んだ娘に特殊な力を与え村を守ります(呪いを広げない)。
しかし、生贄としての効力は永遠ではないのでしょう。主人公が村を訪れると祈祷師の老婆はルオナンのお腹に赤ちゃんがいること、またその子供が女であることに気づいて、ルオナンを村に案内します。
祈祷師はルオナンだけでなく、赤ちゃんの名前まで捧げています。物語でルオナンは自分が助かるために、赤ん坊を利用したみたいな描写がありましたが、それと併合して『大黒仏母』は娘のドゥオドゥオを次の生贄(自分の娘)に選んでいます。
祈祷師は昔の生贄だったのかもしれません。
6年後(現在)、娘の本当の名
呪いによって精神を病んだルオナンでしたが、娘と暮らすべく養護施設に向かいます。娘はドゥオドゥオと名乗っていましたが、親子の生活が始まる際に「あなたの本当の名前はチェン・ラートン」と伝えてしまった事で、ドゥオドゥオの呪いが発動します。
ルオナンは新しい生活をはじめますが、娘の呪いは日増しに強くなり、「天井に悪者がいる」と怯えだします。
悪者は日増しに力を強くし、ドゥオドゥオは園で問題行動を起こすようになります。
ここで再び考察です。ドゥオドゥオがみる”悪者”は長い手がみえるだけで顔はわかりません。その”手”はドゥオドゥオを襲うことよりも、まるで「こっちへおいで」といざなっているようです。
『大黒仏母』は”母”です。彼女の祀られている壁画などには大量の赤ん坊も描かれており、子を思う母の”祈り”が”呪い”に逆転しています。
これは映画の冒頭でルオナンが視聴者の脳裏に焼き付けた観覧車と電車の逆行にもつながる伏線です。
呪いの伝染
”悪者”と話すようになり問題行動をおこすようになったドゥオドゥオを、精神科医はビデオを園内で録画して観察するようになります。そこに映し出される長く青白い手。
ドゥオドゥオに近づく”悪者”は次第に力を増して周りの人々を不幸にしていきます。
呪いの伝染が広がり恐ろしくなったルオナンは、引っ越しをするため不動産屋と話していましたが、”悪者”に導かれたドゥオドゥオは、見てはいけない地下道の映像をみてしまいます。
ドゥオドゥオは知るはずのない”呪文”を唱え、意識不明の重体になります。
ドゥオドゥオは呪いによって衰弱してしまい、医療では太刀打ちできないことを知っているルオナンは、祈祷師に助けを求めます。しかし過酷な試練の前に失敗してしまいます。
真実を伝えるルオナン
全ての証拠動画を配信しながらルオナンは事の経緯を説明します。禁断の地下道へ向かいながら。
”呪文”は祈りの言葉ではなく、呪いを受け取る言葉であった。
”呪い”は拡散されればされるほど希釈する。そのため、娘にかかった”呪い”は多くの視聴者が呪われることで助かること。
そしてもっとも呪いが強い『大黒仏母』の顔をみることで、ルオナンは一身に呪いを引き受け、視聴者の叫び声とともに顔面を潰し絶命します。
呪いが希釈する理由
この希釈する理由が、両親の事故死と警察の自殺の映像です。
おそらくルオナンは、ドゥオドゥオの体調不良の原因を、両親に神様と呪いで説明したのでしょう。その時にみせたのが地下道の映像です。
そしてビデオカメラを拾った警察が自殺したのも、その映像の呪いです。
ルオナンはこの過程で、呪いを広めれば希釈することを確信したのでしょう。肉親でさえ”利用した”ともとれるこの行動は、子を思う”狂気”にみえます。
巧妙な映画、隠された謎
映画の冒頭、観覧車と電車を見せ、私たちは自分の気持ち一つで物事を動かすことができる。「私たちの意思が世界を作っている。それが”祈り”の原理だ」と告げます。
”祈り”は”呪い”と”表裏一体”、映画内で視聴者に反転されていく様子を植え付けていく巧妙な映画でした。クドイくらい”呪文”と”呪印”を映画で繰り返し、視聴者に”暗示”をかけます。素晴らしい演出です。
親が子供の幸せを”祈る”ように、「他人を犠牲にしてでも」という”呪い”もそこにあります。『大黒仏母』はなんのために”呪い”をかけていたのでしょうか。
子供を必要とし愛情を与えるために、他者を犠牲にし、自分をも生贄にします。
ルオナン(母親)と『大黒仏母』は実はよく似た存在であるといえます。
穴と集合体恐怖症
この映画には穴が多く登場します。
『大黒仏母』の顔、呪われた人々に浮かぶ穴だらけの皮膚、それ以外にもあったかな?
”集合体恐怖症”のかたはこれはもう”地獄絵図”のようだったでしょうが、そもそも何故『大黒仏母』は顔がないのでしょうか。何故穴があいているのでしょうか。その穴には無数の”歯”がびっしりひき詰められています。
この”歯”は映画の演出で度々登場します。彼氏の弟(いとこ?)が呪われると無数の歯を生やして、「痒い」と言って歯を抜いています。
顔を潰して絶命する理由
呪われた人は顔を自ら潰して絶命します。あるいは”歯”を無数に生やしてしまいます。まるで『大黒仏母』の容姿に近づいているかのようです。
今回の映画では『大黒仏母』のことについて詳しく解明されていないので、こちらも謎のままです。
しかし、続編の制作も決まっているようなので、今後謎が解き明かされていくことを期待しています。
名前を失う理由
『大黒仏母』は名前を奪い呪いをかけます。しかし何故名前を奪うのでしょうか。
個人的見解では”名前はその人そのもの”であり、”名前を失う”=”自我を失う”ことのように思います。参考:漫画『モンスター MONSTER』
西洋でも悪魔祓いをするときには悪魔の名前をしらなければなりません。『エクソシスト』が有名ですね。
名前をただの”表記”ととらえるのか、”そのモノ”ととらえるのか、この物語ではどう解釈されますか?
最後に
個人的に考察する要素が多く非常に楽しめました。
映像の繋がりが分かりにくいので、物語をしっかり把握するには、映画に慣れていないと難しいです。
それに文化というか宗教を知らないと理解できない内容です。細かい分析をされている方も多いと思いますが、映画として大衆に向けてリリースされるなら、万人が把握できるよう説明するか、わからなくても楽しめる作風にするべきす。
しかし、『呪詛』はわからなくても楽しめる作品といえます。わからなくても”怖いことだけは伝わる”かと思います。
なので”ホラー映画”として成立していて、”よくできた作品”といえます。
続編をリリースする予定なので、のちのち『大黒仏母』の謎が解き明かされるでしょう。
自分の顔(首)を片手に持ち、多くの子供を救う『大黒仏母』の壁画は、まさに母の呪いでありこの映画の”本質”です。
しかし、この映画の冒頭で主人公が言った「私たちの意思が世界を作っている。それが”祈り”の原理だ」であるなら、”本質の逆転”が”テーマ”なのかもしれない。”母の呪い”ではなく”母の祈り”かもしれない、”母の呪い”ではなく”子の呪い”かもしれない。
穴は産道……。歯は乳歯、うまれることの暗示か……。
次回作に期待です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
堅苦しい文章なのは許してください。
では、またの機会に。