おつかれさま、かぷちーとです。
今回は映画『かぐや姫の物語』のレビューと解説を書きます。
私は『ジブリシリーズ』の中で『かぐや姫の物語』が一番好きです。
この作品の”キャッチコピー”は”姫の犯した罪と罰”です。では、姫はどんな罪を犯したのでしょう?罰とはなんだったのでしょうか?
『かぐや姫の物語』の”テーマ”は人が産まれて死ぬまでの間に、どう”生きる”かだと思えます。
残念ながら『かぐや姫の物語』は酷評が多く、興行収入的にも大失敗の映画です。
私はそれでもこの映画が大好きです。
この記事は映画『かぐや姫の物語』を視聴済みの方に向けたレビューです。未視聴の方はご覧にならないようお願いします。
製作キャストとキャラクター紹介
監督 高畑勲
『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』『ホーホケキョ となりの山田くん』
宮崎駿監督とよく比較されていました。
宮崎駿は万人受けする作品を作るのが上手です。『千と千尋の神隠し』なんかは特に王道をいく名作です。
高畑勲は彼と比べてマイナーで独特な作品を作っています。
私たちのように、映画に対して「あれこれ」勝手に考える人たちからすれば、非常に深みのある作品作りをします。
出演 朝倉あき
月から地上に憧れやってきた、かぐや姫(タケノコ)
『竹取物語』(原作)では奥ゆかしい女性(男性の考える女性像)でしたが、ジブリ版ではだいぶ”お天馬娘”で、恋愛に対しての憧れはそれほどな印象です。
私はおとぎばなしのお姫様という内容よりも、『かぐや姫の物語』の方が魅力的にみえます。
他のキャラクターから美しい”モノ”として扱われ、”自分の幸せ”を押し付けられます。
かぐや姫は”自分が思う幸せと、相手の幸せ”を天秤にかけ続けます。
その結果、最後には心が溢れてしまいます。
かぐや姫は禁断の地(地球)から月に来た人が羨ましかった。月に来た人は、故郷の記憶も失っているのに、禁断の地をみながら涙をながしています。
誰を思って、何を思って涙をながせるのか、この時のかぐや姫には分からなかったからです。
そして、月の掟を破って地上に来た。”生きる為に産まれこの地に来た”
地井武男
姫(娘)の幸せが自分の幸せと勘違いした、翁
翁に対して批判的な意見が多そうなので、一応彼目線で意見を言わせてもらいます。
自分の”信じる幸せ”が、実は”他人の思う幸せ”であると、勘違いしている人は実際多いです。
例えば、親が子を育てる際、将来その子が大学に行って大企業に就職、あるいは公務員など安定で地位や権力を持つことが幸せだと思う人は多いです。
あるいはインフルエンサーが、「企業に使われるよりも、自由な自分の会社を作るべきだ」と、自己責任で得られる自由を幸せだという人もいます。
確かに、その方が”幸せ”になれる可能性はありますが、果たして本当にそれは”本人の幸せ”なのでしょうか。
翁は親として子供への幸せを願っているのは間違いありません。
「あなたのためを思って」言っているのです。
ただ、自分で決める幸せの選択を、子供に委ねなかったのが間違いだったのです。
宮本信子
姫(娘)の幸せを理解はしていたが見守ることしかできなかった、媼
優しい母の役目を持ち、献身的にかぐや姫を支えます。
ただ、彼女の取り巻く環境を変えてあげる力は持っていなかった。
高良健吾
自然と共に暮らし、根を食ってでも生きる、捨丸
本作オリジナルキャラクターでかぐや姫の”心のよりどころ”。
自然と共に生き、辛いことも、みっともないことも、”生きている手応えを感じる”捨丸。
かぐや姫とは互いにその”生きる価値観”を共有できる間柄だった。
田畑智子
ちんちくりんな侍女見習い、女童
本作オリジナルキャラクターで常にかぐや姫に付き添います。
主張しすぎず、特に大きな活躍もなかったです。
ただ、かぐや姫の気持ちをくんで桜の枝を持ってきたり、馬を用意します。
細かな演出が、かぐや姫からの信頼の強さを感じさせます。
ジブリらしいマスコットの様な、可愛いキャラクターです。
中村七之助
顎がとっても長いイケメン(勘違い?)、御門(帝)
かぐや姫に”トドメの一撃”を放った男。
自分の地位と権力に惹かれた女性を、自身の魅力だと勘違いしている節がある。
ギャグ要素があるので面白おかしいキャラクターではあったんだけど、ストーリーが真面目すぎて微妙に滑ってる感じがします。
そして、気持ち悪い男です。
『かぐや姫の物語』の感想と解説
かぐや姫の罪(禁断の地に降りた)と罰(生きる幸せを知り失った)
ある日、禁断の地(地球)から月へ来た人間が、時より故郷の地を眺めながら唄を歌います。
涙を浮かべ、その理由はわかりません。本人にも分からなくなってしまったのです。
物語の最後で月の衣を羽織らせた人物が、「清らかな月の地につけば心乱れることなく地上の穢れもぬぐいされる。」といいます。
このセリフから、”地上の記憶が失われた”のか、あるいは”感情が希薄”になったことが想像できます。
いずれにしても、悲しいと理解はできてもなぜ悲しいと思うのか、その気持ちが理解できなくなったのだと思います。
月は何ものにも囚われず、争いもなく、醜さも、穢れもない清らかな地ではあります。
でも、人の情けや美しさといった幸せもない場所です。それは果たして”生きる”といえるのでしょうか。
かぐや姫はその気持ちを知るために禁断の地(地球)へ降りてしまいます。
そこで木々と、人と、獣と、虫に触れ、”自分の幸せ”、”生きること”と向き合います。
人間の短い人生から”生きる”美しさと醜さを知ります。でも、最後にはその気持ちを失ってしまいます。
翁と御門から学ぶ自分の意見を押し付け干渉することの不幸
”自分の思う幸せと他人が思う幸せは違います。”
他人は、たとえ家族や友達であっても他人です。
動物や木々や虫、神羅万象も自分とは違う生き物なので、他のものといえます。
高貴な御子達は自分の幸せの為に、かぐや姫を”手に入れよう”とします。
かぐや姫の”幸せ”を願っているなどと”嘘”をついたり、”偽物”を使って”あざむこう”とします。
彼らの思う”幸せ”とは、”モノの価値”で自分を包み込む事。「私のものになる事が、そなたの幸せ」
かぐや姫はまるで人形の様です。歯を黒く、眉毛を抜かれ、化粧を施し、自分は何もせずとも、周りの事は付き人が済ませてくれます。
常に美しい存在として、高貴な御子達にモテはやされる。ブランドの商品のようですね。
そんな楽な生き方が、”幸せの人もいる”と思います。常に注目され、だれからも大切に扱ってもらえます。
でも、彼女にとっては”生きながら死んでいる”ようなものでした。
現実も同じく人それぞれ好きなことや、”幸せの形”は違います。
”幸せ”について追求して、求めることが増えてしまえば”窮屈”になります。全て叶えられるほどのお金と時間、権力があればそれもいいですね。
でも、残念ながら多くの人はそうではありません。
最後に
自分が思う幸せや楽しいって気持ちは、人によって違います。
『かぐや姫の物語』ではあなたの考える”あたりまえの幸せ”について、考えさせてくれるかもしれない、おすすめの映画です。
他人に干渉せず、違う意見があっても「へ~そうなんだ~」程度に受け流すスキルが、現代では必要なスキルのように思えます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
堅苦しい文章なのは許してください。
では、またの機会に。